
千葉県出身の宇野は銚子商高で3年夏に甲子園に出場。「三番・遊撃手」でチームの中心選手だった。中日にドラフト3位で入団すると、高卒3年目の79年に遊撃のレギュラーを獲得。81年には打率.282、25本塁打の好成績をマークする。「ヘディング事件」はこの年に起きた。宇野は79年以降7年間で6回のリーグ最多失策を記録している。遊撃の守備が堅実とは言い難かったが、数字では表れない貢献度があった。180センチの長身でダイナミックな動きと強肩に加え、素早い身のこなしと高い技術にナインの評価は高かった。
外野手として計9度のゴールデン・グラブ賞を獲得し、中日で同僚だった平野謙は宇野の守備について週刊ベースボールのコラムでこう語っている。
「ショートで一番うまいと思ったのは西武時代の石毛(宏典)ですが、(宇野)勝もいい選手でしたよ。僕はドラゴンズ時代センターでしたが、補殺が結構多かった。センターは一人でホームに投げての補殺もあるけど、後ろの打球とかは、そうはいかない。そのときはセカンドの上川(上川誠二)とか、ショートの勝がカットマンで入ったんですが、勝は捕ってからが速いんですよ。あの状況判断のよさは、走者の動きがすべて頭に入っていないとできない。フライを頭に当てた珍プレーしか浮かばないかもしれないけど、うまいし、野球をよく知っているショートでした。あいつは外野手に1球1球サインをくれました。背中に手を回して指で、けん制があるかどうかとか、あとは捕手のサインが変化球か真っすぐか。これは、やる選手とやらない選手がいたけど、勝は意外とマメで全球サインを出していましたね」
当時は守備の負担が大きい遊撃の選手に打撃で多くを求めない考えが浸透していたが、この球界の常識を覆したのが宇野だった。リーグ優勝した82年に自身初の30本塁打をマーク。84年は37本塁打で当時阪神の掛布雅之とともに本塁打王のタイトルを獲得した。遊撃のレギュラーで本塁打を獲得するのは史上初の快挙だった。球界を代表するホームランアーティストとなり、翌85年も自己最多の41本塁打をマーク。この数字は元ヤクルト・池山隆寛、巨人・坂本勇人も届いていない。遊撃のシーズン本塁打で歴代最多記録だ。
ファンからも愛された存在
ナゴヤ球場に登場した「宇野人形」
勝負の夏場に強いのも魅力だった。8月に調子を上げて本塁打を量産することから、「ミスターオーガスト」と形容された。84年に本塁打王を獲得した際も、7月まではリーグトップの掛布に7本のリードを許していたが、8月だけで15本塁打を放ちタイトルを分け合っている。ファンからも「ウーやん」の愛称で絶大な人気を誇り、スタンドには宇野の顔を模造した巨大な「宇野人形」が登場して盛り上がった。
シーズン30本塁打以上を4度、20本塁打以上を9度マーク。「遊撃で長距離砲」という異色のスタイルで活躍した。プロ通算18年間で1802試合出場、打率.262、338本塁打、936打点、78盗塁。通算338本塁打は遊撃で歴代最多アーチだ。宇野は「心がけていたのは中途半端なプレーはしたくないということ。スイングはフルスイング。だからバットとボールが1メートル離れて空振りした次の投球をホームランにできたんだろうね」と振り返っている。
世間で有名な「ヘディング事件」は宇野らしさを物語るプレーかもしれないが、現役時代を知っているファンからすれば一端でしかない。時代を先取ったスケールの大きいプレーはもっと評価されてしかるべきだろう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/eb50f6c47163bff21771d616520b6bc5383dd0c2
1/31(日) 11:01配信
https://npb.jp/bis/players/31133844.html
成績
https://i.imgur.com/I5ytw3s.jpg
https://i.imgur.com/utCzWxS.jpg
星野仙一「宇野は捕るまではヒヤヒヤだが捕ってからは
安心出来た」
セイバーのデータを錦の御旗みたいに絶対視して「宇野は下手」とうるさい。
そのデータ、歴代ショートで宇野はブービーで
最下位がオリの小川浩文らしい。でも特に酷かったなんて聞かない。
アテにならん。
というか、そもそも歴代にランクインするくらい守っているショートで
守備がひどかったって言われるような選手がいるのかって話だわ
自分の記憶の中で、下手なショートでイメージする選手は近鉄の村上と中日の福留あたりだな。
結局2人とも外野へコンバートだったけど。
下手なショートといえば西武時代の中島だな
すぐにショート失格になったその2人と違ってなぜか西武での中島はずっとショートのレギュラーだった
それが宇野じゃん
エラーの数でも守備指標でも現れてる
エラーは多いけど上手かったってデマを否定してるのが守備指標
ストッパー毒島で火野の打球に全く反応出来ない小川ってシーンあったなぁ
宇野凄いなwwww
最強ショートやん
みのもんた最低やな
当時の野球選手はスラッガーでもスリムだな
宇野総理か。宇野総理と野球とどんな関係があったかは知らないけど。
星野に飯誘ってもらってお互いの車で移動中に星野の車にカマ掘るまでだな。
あのプレーで星野が激怒したのは、当時連続試合得点記録を続けていた巨人に対してどちらがそれを止めるか小松と賭けをしていた。
あのプレーまでこの試合は星野の完封ペースだったという背景があった。
で、この後巨人の記録を止めたのは小松だったというのがこの話のオチ。
その試合見てた記憶がある
小松先発で1-0完封
そんな裏付けがあったのは知らなかった
あの試合は後楽園だから自分の車で移動はない
って板東英二が言ってたな
星野の車におカマの件は試合直後の話じゃなく、後日の話だったはず。
後日っていうか全然関係ない話
それはデマ
宇野本人が否定してる
マウンドにグラブ叩きつけてたなw
TBSラジオのノリのいいだけの吉田照美もどきだった。
もんたと言えば81年ならばもんたあんどぶらざーすのもんたよしのり。
だが一気に変わる。なお、その当時小倉さんことオヅラさんは、今の
テレビ東京の東京12チャンネルの競馬実況アナ。
今みたいにアニメもYOUは何しにも鑑定団もバスの旅もなんもねえ
チバテレ状態の局。経済と真夜中のエロしかねえ泡沫局。
だが、当時の競馬大好き大橋巨泉の小姓になってコネだけで急に
80年代後半から名前が出てきた。あれを超える急に突然名前が出てきたのは
志らくしかいない。
テレビ東京で小倉智昭といえばパソコンサンデー
(テレビ大阪制作)だろ
ヤンヤン歌うスタジオのナレーションだろ
曲進行をナレーションにさせるとか、結構斬新
な構成だったな
マニアックだなw
RCカーグリンプリ
そして独立からのハウマッチなのか
みの、吉田は文化放送じゃない?
あと志らくはバブル期から注目してたけど。
むしろ、出て来るのが遅かった。
あいつは自分の立場しか考えてないエゴイスト
その理由は前原が高木監督の高校(県岐商)の後輩だから。
高木から星野になったとき真っ先に前原は首切られた。
落合のあと高木が監督になったときもすぐ前原がコーチで呼ばれた。
どんだけ高校愛やねんw
前原は、西武か何処かパへ放出だったな
1995年は星野さんの腹心の島野さんが代行監督
をやってたからその間に翌年以降に戦力になるか
どうか見極めてたんだろうね
そして清水雅治と前原博之がトレードされた
前原が県岐阜商出身かつ2回目の高木監督時代にコーチをつとめたのは事実だが(宇野も打撃コーチで入ってる)
高木監督が高校の後輩だから前原を重用し、宇野を干したっていうのは誤り
元々前原は故障の立浪に代わってセカンドで起用されており、一時期種田と入れ替わってショートからまたセカンド
立浪復帰後もなお宇野が三塁手で出ることが多く、前原が三塁で多く使われ始めたのは6月下旬
当時はむしろ宇野を引っ張ったって声も多かった(前原は7月まで好調をキープしてオールスターにも出た)
7月からは大豊と長嶋の故障・不振と清水の息切れで宇野が外野に回ることが多くなったが
前原が息切れした終盤ではまた三塁は宇野の起用が増えていた
シーズン通算では前原のOPS.767に対し、宇野は.690まで落ち込んでロッテへトレード
贔屓されてたと言われる前原だが、実はそこまででも無かったのではとも思われるのはこの92年オフ
中日は三塁手のジャコビーを獲得、さらに92年外野に回っていた仁村を三塁へ戻しているという事実がある
93年はジャコビー故障悪化帰国後しばらく前原は三塁で使われたが、不振と仁村の好調であっさり控えに
つまりジョイナスになった瞬間前原がコーチとして呼ばれたのはただの偶然というわけか。
昭和コンクリートで数々の素晴らしい実績を残していたんだろうね。
それについては呼ばれたのは事実とだけしか書いてない
認識が誤りだと書いたのは、高木が宇野を干して前原を重用したってことだ
>>158
のちにメジャーで3割や年間38本塁打を打ったこともある、あのステアーズなのよな
外野手だが三塁もできるってことで獲得、実際に三塁で使ったがあっさり失格になって本職の外野へ
中日ってこういうのが多い気がw
そう
ジャコビーが速攻で消えたんで宇野勝の代わりに
サードの新外国人を補強したという事実が完全に
忘却されてるね
なお前年好調だったライアルも残留してたが故障
してパウエルを獲得したためライアルが二年目も
在籍してたという事実も忘れられてる
あと清水も外野のレギュラーで使い続けたような
86年も高木就任→宇野個人成績がた落ち
高木はイメージ悪すぎる
それが岐阜県名物「岐商魂(ぎしょうだましい)」というです!
まるで創価学会みたいでしょw
一緒に飯行ってカマ掘ってお前なんの恨みがあるんだと言われた。
当日はめっちゃ切れたけど後からやり過ぎたと反省して宇野に優しくしたそうな
宇野と掛布を四球攻めにした
当時うーやんは憤ったそうだが結果的にそれ
が唯一のタイトルになったので感謝してると
小久保と落合
落合、小久保、山田哲人
山田哲人以外は後にコンバートしてるけど
落合博満も小久保裕紀もこの年はセカンド
だったね
宇野のヘディングと下柳のあれしか知らないけど。
下柳の時は1イニングに3回やらかしたんだから、流石にキレるだろ(´・ω・`)
>>62
井端もイージーな真正面のゴロが一番難しいって言ってる
あの番組については激怒してるけどね
YouTubeでめっちゃ怒ってたな
てのはウソであの当時モッカとの三遊間は絶望感満載
イメージほど下手ではないという程度だよね
宮本とかがよく言う、上手く見せないで簡単にさばいているように見せるのが理想なんだし
平野が言ってる、外野に向けてサインだしの話だって、
宇野はイメージ的にはやらなそうだけど、実はまめにやるってだけで、
宮本みたいな選手ならちゃんとやりそうでしっかりやるってだけだしw
レフトは大島康徳
魔の三角地帯
モッカの三塁守備は
衝撃的すぎた。
平野謙が宇野は中継カットが上手かったと語ってたぞ
1読んで
まあ、本当に守備の評価がそんなに高いんだったら
いくら立浪とはいえ高卒新人にいきなりポジション奪われることはないと思うんだけどねえ
しかも、当時のショートは打撃よりも守備重視だったってことだしw
宇野は立浪にショート譲る前に一度サードへコンバートされたことがあったね。
しかし絶不調に陥って翌年ショートに再コンバート。
その後ホームラン王を獲り、41本塁打打った。
打撃を活かすためにショートへコンバートとか異色な例だった。
順番が逆だよ
本塁打王を獲った翌年にケン・モッカの後釜として
サードに回されたの
ショートには移籍の鈴木康友が抜擢された
オフに落合博満を獲得し落合サード宇野ショートに
落ち着いた
事故レス
1985年は41本も打ってるのにバースに阻まれて
本塁打王を獲れなかったんだね
まあこの年の阪神はこっそり禁止球を使ってたって
言われてるからね
>>107
確かに順序間違えてたw
でも宇野はショートでないと打撃のリズムも崩れるタイプなのかな。
1990年の例もあるしサードにするくらいなら
外野に回した方が良かったのかもね
宇野に関してはこの2人とは異質なイメージがある。
李は打ててたかぁ?
李はデビュ一当時はその俊足と打撃で結構チームにインパクト与えてたと思う。球で骨折してから歯車が狂った感じだな。
退団後の言動で色々言われるけど、全くダメダメな選手ではなかったよ。_
故障離脱するまでは打ってたよ
復帰後外野コンバートとかで揉めて腐って
不良債権化した感じ
https://blog.goo.ne.jp/grussgod/e/6d189ef50848cbdfcf26ff53b3e7065e
ウーやんが絡むと愉快な事件簿に見えるから不思議
あの事件で下手なイメージが付いちゃったな
モッカの守備範囲が狭くて宇野が巻き添え喰ってた感じ
立浪が宇野が一番うまいって言ってるのは
ボールトスについてだけでしょ
あんな頻繁に見事なトンネル開通してたのは当時でも宇野か一茂くらいだったぞ
4コマ漫画でもホームラン・三振・失策の三冠王争いの常連ってネタにされてたくらいでw
恐竜打線とか言われてたよな、今は見る影もないが
彦野と仁村は星野野球の申し子。
うーやんの全盛期はもう少し前。
82年の優勝の頃が全盛期で88年は落ちてきてた。
平野や大島がいた時代か、田尾はもういなかったかな
いやいやいや82年のハマスタの優勝決定戦で田尾は全打席敬遠されたやんw
なんでいない事になってる?
そうか、ごめんw
もうかなり忘れてしまってるな
1992年松井秀喜の敬遠で、星陵OBの小松が
「プロでもありえない」的発言をしたものの
実はこの田尾敬遠の時の先発だった
宇野の全盛期は本塁打王を獲った頃だろ
翌年も41本打ってるし
宇能鴻一郎でしょ
上から弱いタイプは結構いる
一茂もそうだったし
正面に打球が飛んだ時にヒヤリとする感じだった。
左右の打球に対しては安心感あったけど。
宇野を題材にしたコーナーが
あったな
それに対してもクレーム出さないなんておおらかやな
いい人なんだっけ?うーやん
肖像権は選手に無かったしそういう時代。
もっと前になると選手名鑑に選手の住所が載っていた時代になる。
選手の家にピンポンしてサイン貰える時代。
まー宇野の扱いはストッパー毒島の火野でわかるよなww天性のホームランアーティストなんだけど。
宇野のチームの大先輩で、解説では広島の中年以上にはお馴染みの金山次郎が全試合遊撃手で本塁打王になってる。
本数は3本
それ田尾
田尾の話をしていた。
あれ銀色らしいよ
当時はシャイな割にハデ好きだな~と思ったけど
全然シャイじゃなかったわw
同じ日(1981年8月26日)に起きたエモやんの「ベンチがアホやから~」の方が当時は騒がれていた記憶がある
全ての輝かしい記憶はあの一件に上書きされ、世間的にはすっかり「仙一の前でヘディングした人」
これもまた人生である
一打席で
バント失敗、バトン失敗、逆転ホームランで
出迎えた星野に殴られる。
宇野の燃えドラ初登場時の歌詞は「八番宇野がスクイズバント~♪」
その後とのギャップのでかさに苦笑
ただヘディングとランナー追い越しがエグいからw
宇野自身もドラフトに掛かったのは肩があったからと言ってる
当時のショートは花形ポジション扱いされてなくてサードの方が人気があった
時代が違うから年俸は上がるだろうけど、別に人気は上がらんわw
歴代トップクラスのショートである坂本ですら世間的にはスターでもなんでもないんだから
当時と比べりゃ人気出るやろ
普通に名古屋では人気選手だったが
そのときにヘディングの宇野が今年もみたいな感じで毎年この映像が流されてたんだよな
平野
モッカ
谷沢
大島
宇野
中尾
上川
外人のモッカはともかく他全員が幸せに中日で終われなかったのが…
派閥争いと内紛が伝統の球団だからなあ
監督代わったからって放出されてたら選手もやってられないな
谷沢は中日一筋で引退だけど、星野に引導渡された形だったから幸せな終わり方だったかは微妙だね。
あれはひどいよな
谷沢はまだ現役を続けるつもりだったのに
ロッテがまだ暗黒時代だったせいもあるだろうけどチーム内でも浮きまくりで平野くらいしか話し相手がいなかったみたい。
恐らくロッテ関係のイベントには未参加なんだろな
~1985年 強打のショートとして活躍
1986年 サードにコンバートして大不振
1987年 ショートに戻って復調
1988年 セカンドに回されて本塁打激減
1989年 立浪和義の故障でショートに戻り生涯唯一
の三割(リーグ6位)
1990年 サードと外野を兼任し好成績
1991~92年 サード専任に戻り成績が年々悪化
そしてオフにロッテにトレードされ鳴かず飛ばず
星野自身に逆の立場ならお前は選手星野をどう扱うと説得されたと聞いたね。
監督の立場でも同世代の谷沢の扱いづらいし、星野はそのあたりシビアだっだな。
逆に若松勉さんだと若手の手本として何年も
現役を継続することを要請されるしその点は
人柄だよなあ
落合獲ったのに無理矢理谷澤使ったらワリを食うのは仁村か立浪だろう。
立浪はもう少し温存しながら使った方が肩を壊さなくて済んだかもという見方もできるが。
辛いのは現役時代の10年くらいだろ
引退以後は仕事のタネでしかない
宇野はオファーを受けても断るくらい今でも嫌がってる
そのYouTubeで珍プレーばかり言われるから一時期番組出演断ってたって言ってたけど
アスペかお前
嘘つくな
めちゃイケにも出てネタにしてるし
村山実なんか天覧試合ぬまでネタにされてこじらせたぞ
星野とのコラボと宇野のキャラがあってなんだろうな
珍プレー全盛期は野球を見ないおふくろも宇野や佐野を知ってた
因果関係が逆だよ
国民的なプロ野球の人気が落ちて中継も見てもらえなくなったから珍プレーもやめたんだよw
珍プレー以外にもプロ野球4コマ漫画とかもすっかり廃れてしまったな。
昔はプロ野球4コマの月刊マンガ誌も出てたのにね。
外野手で500本塁打って実は大したことないんじゃないかと思える
簡単なゴロをエラーもよくする
そんなイメージだった
ショート部門ではなぜか、やれ正岡だの田野倉だのとなって宇野のうの字も出てこなくて笑ったw
田野倉は宇野と二遊間を組んで、たのきんトリオに引っ掛けた「うのきんコンビ」と言われてたセカンドのイメージ
元々はショートのレギュラー争いに名乗りをあげてたんだけどね(あまりの貧打で脱落、その後高木守道の衰えでセカンド出場が増えた)
この時にショートのレギュラー格になったのが正岡だけど、この人も打てなかったから宇野の台頭であっさり控え
田野倉は中日では基本的にあまり打てず、たまに爆発するシーズンがあった印象だが
ロッテに行ってからはむしろ左殺しの代打男のイメージがあるな
そして中日で田野倉からセカンドを奪った上川が落合トレードの交換要員の1人としてロッテに移籍したのよな
「自分の現役時代知ってるベテランは監督になるとあいつは現役時代自分はああだった癖に~と邪魔になるからまず切れ」とアドバイスしたそうなんで
廣岡のせいか
V9の選手で現役時代の川上批判した人間といったら多分な…
比較的エラーが多かった松井稼頭央ですら.978
強打タイプの池山も.980超
審判を笑い者にするような珍プレーはやめてというのは正式に申し入れはあったけど。
珍プレーやプロ野球4コマは、根底に選手へのリスペクトがないとトラブルの素だとは思うね。
時々これはネタにしたらいかんだろと思える洒落にならない話もあったし。
はた山ハッチ(やくみつる)とか結構エグイのあったよな
あいつがコメンテーターで人格否定とかしてるたびに鼻白むわ
円山球場で大ケガした吉村の件で加者の栄村を黄色い悪魔とかダミアン栄村とか茶化してネタにしていたのはさすがに下衆な奴だと思った。
当事者間では全く笑い話にもならん深刻な事なのにね。
デビュー作からして「くたばれエガワ君」だもの
営業のためのアンチ巨人
痛い珍プレーで急所にボールが当たったりして痛む審判を笑い者にするのはやめてくれとクレームが入り、一時期痛い珍プレー
から審判がらみがなくなった。さらにみのもんたがやらなくなってフジは一時期珍プレーをやめた。
この例だけじゃないがアスリートの印象ってたったのワンプレーで形作られるからね
イチローだってWBC2009の最後でヒットを打ったから変わらず賞賛されてるけど、
あそこでもし凡退して試合にも負けてたらそれまで積み重ねてきた実績も全否定される存在になってたと思うし
巨人が連続得点試合(完封負けなし)の記録が続いてて話題になってたので
小松とどちらが完封するか賭けをしていたのに、
このヘディングで巨人に1点入った。
ちなみに試合は2-1で中日勝利
「守備ランクC」だった
ショートで1年目から27本塁打、25才で1000本安打。29才で1500安打。
今の選手でそんなことができたショートはいますか?いないでしょう。
だから、昔の野球の歴史を勉強する必要があるんです。
豊田泰光か
コイツの時代のプロ野球は草野球みたいなもんだ
だから、昔の野球の歴史を勉強する必要があるんですw
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kyozin/1412683585/
全国制覇の時のサード篠塚もさすがにうまい。
https://i.imgur.com/3z1foHJ.jpg
ほりのぶゆき 「荒川道場」
ここだけ見ても。。。
あらすじだけどこんな話
43 名無しさん@恐縮です 2020/11/15(日) 10:18:28.19 ID:35b4qhf+0
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1328264862/41n-
41 :神様仏様名無し様:2012/02/10(金) 07:28:24.33 ID:qtu0B1/C
ほりのぶゆきの「荒川道場」は本当に面白かったな。
俺が一番印象に残っているのは、以下のような話だった。
手首への球が致命傷となって現役引退を余儀なくされたベテラン選手の家へ、
その球をぶつけた投手が謝罪に行った。
ベテラン選手もその投手を許し、 二人の間に和解が成立した。
その時ちょうどテレビで珍プレー番組を放送しており、その番組で件の球の場面が放送されていた。
番組では、その球の場面を面白おかしく取り上げ、完全に茶化していた。
その珍プレー番組のナレーションはみのもんたで、みのはいつもの調子で
投手と打者に好き勝手に台詞を付けて、完全におちょくり、スタジオは爆笑の渦となった。
そこには、球をぶつけた側とぶつけられた側の当事者間の深刻さなどは欠片も無かったのは言うまでもない。
それを見たベテラン選手は「みのの野郎、許さん!」と大激怒。
その夜、みのは暴漢に襲われ、重傷を負ったというニュースを久米宏が読んでいる場面がオチだった。
珍プレー番組の功罪(?)を風刺する、まことに見事な内容のネタであり、 この漫画を読んでから20年近く経った今も、強烈に印象に残っている。
㌧㌧
掛布と齋藤学?
「あまり気にするな食事に行こうや」と
星野に誘われて店に行く途中に
宇野が星野の車にカマ掘った話好き
移籍も検討したがうまくいかないでいる時に星野から「どうする」と言われて引退を決めた
もうやらなくていいよ
小力タイプのHRの率高ければHR王取れたんだろうな
ドーム作って、HRバッターあまり取らないし、中日からHR王でないだろうな
ビシエドがいるわ。
ジュニアは日本のリトルリーグチームに入るくらい日本に馴染んでる。
そして坂本ファンw
イナ選手
170キロ投げるピッチャーの名前
イナ選手
936打点
かなり凄い
ダル、里崎智也、高木豊、片岡篤史
前田健太、上原浩治、中村紀洋、藤川球児
田尾安志、宇野勝、川上憲伸、井端弘和
デーブ大久保、高橋慶彦、松永浩美、谷沢健一
石毛宏典、福本豊、森本稀哲、斉藤和巳
初芝清、岩本勉、小田幸平、喜田剛
桧山進次郎、清水直行、鈴木尚広、一場靖弘
池田親興、新庄剛志、木村昇吾、中西清起
笠原将生、ダースロマーシュ匡、岡本直也、矢地健人
クロマティ、ポンセ、ラミレス
清原和博、伊藤隼太、田中将大
槙原は完全試合だけでテレビバンバン出とる
名古屋ローカルの仕事だけで食えるからヘディングのネタはいらない
同じくw
凄い選手だからあれに応じたわけで
1956年度生 石毛宏典(市立銚子高)
1957年度生 篠塚利夫(銚子商業高)、小川淳司(習志野高)
1958年度生 宇野勝(銚子商業高)
寡黙なキャラは高木守道がモデル。
演じたのは山田和利の息子。